第十八章

 

 

「おっはよー!」 

ボクは、朝食の用意をしながら、隣の部屋で寝ているガイトに呼びかけた。
布団がごそごそいう音が聞こえる。 

「うー・・・・無理・・・・・」 

「無理・・・って・・・今日はガルフとクロムさんが行っちゃう日なんだよ?」 

「・・・・・・あ。」 

がばあっと飛び起きると、ガイトはズボンを穿きながら部屋からのそのそと歩み出てきた。
眩しそうに目を瞬かせると、顔をごしごしと両手で擦る。 

「そういえば、あいつ等、行っちまうんだっけな・・・。」 

「うん、今日でお別れだね。」 

寂しそうに顔を曇らせるガイトだったが、うし、と気合を入れると、洗面所に歩いていった。 

 

 

 

 

『昨日コイツと手を合わせたばかりだが・・・以前に比べて随分と技が冴えてきている。これから俺が指導して、さらに才能を伸ばしてやりたいので、しばらく一緒に武者修行の旅にを出ようと思う。』 

昨日の夜、クロムさんはそう言って、ガルフを指差した。
あの事件の後、ガルフがクロムに、直々にそう願い出たのだそうだ。 
ボクとガイトは、『ガルフがそう願うんならそれでもいいと思う』と、曖昧な答えをしたのだが・・・

やっぱり、しばらく一緒に旅をした相手と別れるのは、ちょっとばかり寂しい気もする。 

 

 

「・・・あ、そういえば。」 

顔を洗い終わったガイトが、タオルで顔を拭いながら歩み寄ってきた。 

「これからお前、どうすんだ?」 

「へ?」 

「あ、いや、俺はまだまだ旅を続けなきゃならんが・・・お前はどうするんだ?」 

「あ・・・」 

 

言われてみれば、ボクの旅はもう終わったんだっけ・・・・。
ガイトは、まだ『目』について調べる事とか多そうだけど・・・ 

 

ガイトとの旅は、短かったけど、それなりに楽しかった。
今まで知らなかった世界が、ちょっとだけわかった気がする。 

やっぱりこれからは、以前のように、この鍛冶屋を経営していく事になるのかなあ・・・・。 

 

「・・・ま、とりあえず朝食にしようよ。もう3人とも待ってるし。」 

「え!マジ!?」 

どたどたと駆けて行くガイト。
その後姿をぼんやりと見つめながら、ボクはふと、旅で出会った人たちの事を思い出していたのだった。 

 

 

 

 

 

 

「・・・それじゃ、これでお別れだ。」 

家の玄関で、ガルフは名残惜しそうに僕たちに言った。
残念そうな顔つきで、ガイトが首を縦に振る。 

「今まで・・・ちょっとの間だったけど、楽しかったぞ。」 

「・・・ああ、俺もだ。」 

「ボクも。」 

その後ろで、クロムとクラスがなにやら話し込んでいた。
クラスが作ってた、あの剣の話みたいだけど・・・・ 

「・・・それじゃ、またいつか・・・縁があったら。」 

「おう。またな。」 

ガルフとガイトが、そっと手を結んだ。
そのまま握手すると、互いに微笑む。 

 

くるりと後ろを向くと、ガルフはクロムと一緒に玄関を出た。
一陣の風が、ガルフの後ろ髪を撫でて通り過ぎて行く。 

「・・・あ、ガルフ。」 

「・・・ん?」 

ボクは、振り返るガルフに手を振った。 

「また、魚釣ってね。」 

一瞬訳がわからないような顔を見せた後、ガルフは再び微笑んだ。 

「・・・ああ。大物を釣ってきてやるさ。」 

 

 

 

  

「・・・行っちゃったね。」 

「ああ、行っちまったな・・・。」 

ボクは、ガイトとぼんやり机に座って話していた。
今まで一緒にいた人がいなくなるってのは、やっぱり気持ちのいいものじゃない。 

「・・そろそろ俺も、おいとまするかなあ・・」 

ガイトが、寂しそうにポツリと呟いた。
いつもの元気がない。 

「ガイトの旅はまだまだ続くんだよね・・・。」 

「まあなあ・・・・まだ手がかりすら掴めてねえしなあ・・・」 

そう言うと、ガイトは大きなため息をついた。
その時、後ろのドアからクラスが入ってきた。 

「・・・お、なーにしんみりしてんだあ?」 

「あ、クラス・・・」 

ボク達の気持ちを知らずに・・・能天気な人・・・・
だけど今は、この脳天気さがちょっと羨ましい。 

「なんだなんだ、悩み事があるんならおっちゃんに相談してみろ。」 

どっかと椅子に腰を下ろすと、クラスはニヤニヤしながら僕達を眺めた。
懐からタバコを取り出すと、嬉しそうにそれを口にくわえる。 

「・・・そろそろ、俺も旅に戻ろうかな、と思ってたんです・・・。」 

ガイトがそう言った。
クラスは、手に持っていたマッチでタバコに火をつけると、美味そうに煙を吐き出した。 

「そうか・・・ま、ガイト君にゃあガイト君の旅があるしな。」 

遠くを見るような目でそう呟くと、クラスは再びケムリを吐いた。
ドーナツ型の煙が、ほわほわと空中に漂った後、すうっと溶けて消えて行く。 

「はい。・・俺の旅は・・・まだ終わっちゃいない・・・。」 

珍しく真剣な面持ちでそう答えるガイト。
ボクは、何だか訳のわからない歯がゆさが胸にわだかまるのを感じていた。

・・以前。
以前、クラスと二人で鍛冶屋をきりもりしていた時は・・こんなキモチになった事はなかった。
クラスといっしょにいられればそれだけで楽しかったし・・・落ち着いたし・・・・。

だけど・・・

何かが違う。 

以前のボクと、今のボク。 

 

・・・何か、大切な『何か』が。 

 

「・・・ねえ、クラス。」 

ボクは、黙ってタバコをふかしていたクラスに話しかけた。
ん?とクラスはボクを一瞥する。 

「もし・・・・」 

ボクは大きく息を吸った。 

「もし・・・ボクがまた旅に出たいなんて言ったら・・・どうする?」 

「・・・・・・」 

クラスが、大きくため息をついた。
それが、罪悪感になってボクの背中にのしかかるような錯覚を覚える。
だけど、ボクは言葉を続けた。 

何だか、ここで折れちゃいけない・・・そんな気がした。 

「自分勝手だと思うけど・・・・だけど・・・ガイトとの旅で、何か変わったような・・・そんな感じがしたんだ。」 

そう、それは、言葉じゃ言えない様な、おかしな『感じ』。
だけど、そんな曖昧な説明に、クラスは大きく頷いた。 

「・・・ああ、だろうな・・・。」 

初めてかもしれない。
クラスが、いつもと違う顔でボクを見ていた。 

今までの『保護者』の目じゃなくて・・・なんだか別のモノを見るような目。
そこに、ちょっとだけ寂しさが見えたような気がした。
話を聞いていたガイトが、ボクに話しかける。  

「・・・もしかして、ついてくるつもりなのか・・・?」 

「・・・うん。ダメかな・・・」 

しばらく考え込むと、ガイトはボクを見つめた。 

「俺の旅は・・・いつ終わるとも判らない旅だ。一年・・・いや、十年かかるかもしれない。」 

「大丈夫だよ。ボクがしたい『旅』に、理由なんてないんだから。」 

「?」 

「なんていうのかなあ・・・・・」 

「成長するための儀式・・・みたいなモンだな。」 

タバコの火をもみ消しながら、クラスが割り込んできた。
ボクは、クラスの言葉にうんと頷く。
首をポキポキ鳴らすと、クラスはガイトに語りかけた。 

「コイツ・・・ルートは、ずっと俺につきっきりで育ってきた。」 

じっと天井の一点を見つめながら話を聴くガイト。
もみ消したはずのタバコから、ゆらりと白煙がたなびいた。 

「だから、世間知らずな所があるし、何事も甘えがちな所がある・・・・いや、あった。」 

外で、小さな子供達が走り回る足音が聞こえる。
この場の静けさとは裏腹に、それは、耳に痛いくらいに無邪気に通り過ぎていった。 

「だけどな・・・ガイト君。君との旅を経て、ルートは成長した。」 

そう言うと、クラスはボクの頭をポンポンと叩いた。
それに抗う気もなくて、されるがままになるボク。 

「前は俺のいう事をなんでも聞いてくれた。俺のために精一杯頑張ってくれた。言わば・・・いい『息子』であり・・・」 

そこまで言うと、クラスは再びタバコに手を伸ばした。
マッチに火が灯ると、それが消えないように手で覆いながらタバコに近づける。
そして、ふー、っと煙を吐き出した。 

「・・・『奴隷』・・・だったな・・・。」 

「・・・・・」 

その言葉を聴きながら、そうだったかもしれない、とボクは心の中で呟いた。 

ボクにとって、クラスこそが「全て」だった。
クラスのために頑張る事イコール、ボクの生きがいだった。 

だけど、ガイトといっしょにした旅の中で、ボクは世界の広さを知った。
鍛冶場の中では知ることのできなかったモノを、沢山目にした。
いろんな人と出会った。そして別れた。
初めて、心から『楽しい』と思った。 

 

「なあ、ルート。」 

クラスが、タバコをふかしながらボクに問いかけた。 

「お前が旅に出る理由・・・・・・・・俺に言えたら、またガイト君と旅に出るのを許してやる。」 

ボクの心臓が、ドクンと跳ね上がった。
理由を言えって・・・・。 

 

 

理由?

 

 

簡単な事じゃないか。 

 

 

「さあ、どうした?早く言わねえと、時間切れになっちまうぞ?」  

面白そうにクラスが言った。
ボクは、顔に満面の笑みを浮かべると、クラスに返した。 

  

「『ボク』になるため・・・。それだけだよ。」 

   

「・・・・・・・・」 

 

カタリ。 

 

クラスが、まだ吸い始めたばかりのタバコを灰皿に突っ込んだ。
そして嬉しそうに微笑むと、大きく頷いた。 

 

 

「それで、いい。」 

 

 

そのまま、何も言わずにボクとクラスは抱き合った。
クラスの肩は、あいかわらず汗臭くて、大きかった。 

 

 

「・・・と、いうわけで。」 

クラスは、ボクを体から引き離すと、じっと見ていたガイトに目を向けた。 

「これからも、ルートをよろしくな。」 

「あ・・・はい、こちらこそ。」 

鼻の頭をぽりぽり掻くと、ガイトは頷いた。
それを満足そうに見ると、クラスは音を立てて席を立った。 

「さて、もう昼だな。」 

「あ・・・」 

確かに、窓から外をのぞくと、もう太陽が空の真ん中にかかっていた。
真っ青な空に、白い雲がぷかぷかと浮かんでいる。
・・・ついさっきまで気づかなかったけど、今日は凄くいい天気だ。 

「腹減っちまったな。ルート、昼飯作ってくれねえか?」   

後を向いたままで、クラスはゆっくりとタオルで顔を拭った。
その背中が、気のせいかちょっとだけ震えた気がした。

「うん。わかった。」 

それだけ言うと、ボクは台所に向かった。
後ろから、ガイトがついてくる。 

 

「ホントに・・・ついてきてくれるのか?」 

「え?ホントだよ?」 

不安そうな顔でそう聞くガイトに、ボクは答えた。
それを聞いて、ガイトは安堵の笑顔を浮かべる。 

「はあ、よかった・・・。」 

「え?」 

「いや、前も言ったけどよ・・・・」 

ガイトはそこで言葉を濁すと、恥ずかしそうに笑った。 

「やっぱ、一人旅は寂しいからな。」  

「あははは、だと思った〜。」 

 

 

 

 

 

  

 

 

俺は、ルートの作った昼飯を食べた後、一人でアルデハイドの街中を歩き回っていた。
最近のごたごたのせいで町を見回ることは出来なかったので、目に映るモノがいやに新鮮に目に映る。
歓楽街とやらを見回るだけでも、だいぶ暇つぶしになった。
しかし、次に足を踏み入れた大市場で、俺は肩透かしをくらっていた。
・・・・開いている店が一つもないのである。
人通りもまばらで、「大陸1の流通ルートを持つ」というわりには・・・といった感じな訳で。  

「・・は〜あ、にしても・・・なんか思ったよりさびれてるっつうか・・・どの店も閉店してるじゃねえか・・・」 

「・・・当然ですな。」 

俺がボヤいていると、後ろから誰かが声をかけてきた。 

振り向くと、そこにいたのは、黒いコートを着た、白毛の犬人だった。
黒い上品な帽子を頭に乗せており、それが妙に似合っている所から、この男性の生活水準の高さを思わせる。
鷹揚とした態度でにこやかに礼をすると、その男性は俺に説明を始めた。 

「このブラックマーケットは、休日は店を出せない決まりになっているのです。」 

「あ・・・そういえば、今日って休日でしたっけ?」 

懐の手帳を取り出すと、俺は日付票を見て唸った。
確かに、今日は『豊穣の日』である。 

男性は、俺を不思議そうに見つめると、ゆっくりと尋ねた。 

「あなたは・・・旅人ですかな?」 

「あ・・・はい、まあ・・・一応。」 

男性はふうむ、と唸ると、俺をじっと見つめた。
その視線が、何か変なものを見るような目だったので、俺は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
それに気づいたのだろうか、男性はゴホンと咳をすると、視線を外した。 

「ところで、あなたはどういったお仕事をなされてるんですか?」 

俺がそう聞くと、男性は俺をじっと見据えた。 

「なぜ、そんな事を・・・?」 

「いや、祝日は店が開いてないのを知ってるのに、どうしてこんな所にいるのかな、って思って。」 

「ほほう・・・・判断力がありますな。」 

男性はニヤニヤしながら俺を見ると、再び咳払いをした。
その目は、にこやかに笑っているようにも見えながら、それでいて鷹のような鋭さも感じさせた。 

「私はダイスターグ・クレイモア。この大市場を仕切る、クレイモアファミリーの長。」 

「え・・・?」 

クレイモアファミリー。
この世界で運び屋をやっていれば(今はもうやってないが)、一度は耳にする言葉である。
個人では、アルデハイド一の資産家であり、その権力はあのアルゲル・ホイール35世に次ぐ、とまで言われている。
巷では、『最も成功した人間』という二つ名もあるそうだ。 

有名人との急な出会いに戸惑う俺を、ダイスターグは楽しそうに見つめていた。 

「あ・・・えっと、話には聞いたことがあるけど・・・アンタ・・・いや、あなたがあの有名な・・・?」 

「はっはっは、左様。そのダイスターグ・クレイモア本人だよ。」 

大声で笑うと、ダイスターグは頭にかぶった帽子を脱いだ。
寝ていた耳が、少しだけ持ち上がる。 

「・・・でも、どうしてあなたみたいな有名人が、いちいち市場を見回るなんてマネをするんですか?」 

俺は、しごくもっともな質問を投げかけてみた。
ダイスターグは、顎鬚を手でしごくと、笑みを浮かべながら言った。 

「何事も、一番大切なのは『自分で動く事』だ。それに、失敗を恐れない事。そして、自分の納得いかないものを徹底的に疑い、それが必要ないものであれば、即座に切り捨てる・・・。まあ、その中にも、きちんと人権や道徳も配慮しなければならんのだがね・・・。それと、もう一つ・・・。」 

遠い空を見つめるダイスターグの眼は、どこか・・・空のむこう、はるか遠い場所にいる「何か」を探すような、寂しげな輝きを備えていた。 

「・・・自分の正義を持つこと。」 

「自分の正義?」 

「ああ。・・・自分の正義・・・自分の中の、絶対的な価値・・・物の見方。不変の真理。怯えをかき消す勇気。そういったものを大切にする事が、成功する事の・・・いや、幸せになる事の鍵だ、と私は考えている。」 

一瞬だけ。
一瞬だけ、ダイスターグの言葉の端々に、深い悲しみを聴いた気がした。
そんな俺を見て、ダイスターグは苦笑した。  

さて、とダイスターグは呟くと、手に持った帽子を、再び目深に被った。
俺に再度会釈すると、ニッコリと笑った。 

「・・・それでは私は、次の区画に行くとするかな。」 

そう呟くと、くるりと後ろを向いて、すたすたと歩き出した。
しかし、数歩も歩かないうちに、ピタリと足を止める。 

「・・・そうだ。」 

再びくるりと振り向くと、ダイスターグは何だか不安そうな顔つきで俺に言った。 

「もし・・・。もし君の旅の中で、『ルート・クレイモア』という名の、黒い毛の犬族の少年に会ったら・・・」 

そして、一瞬考え込んだ後、再び言葉を紡ぎだした。 

「『父親は、ずっとお前を愛している。』・・・こう伝えてくれないか。」 

「え・・・・ルート?」 

俺の頭の中に、あのちっこいのが思い浮かんだ。
いや、確かに毛は黒いし苗字もクレイモアだけど・・・ 

「ではまたいつか、機会があったら。」 

そう呟くように言うと、ダイスターグは俺の眼の前から歩み去っていった。
その背中に、なにか哀愁のようなものを浮かべながら。 

 

誰もいない大市場の通りに、一陣の風が吹いた。
遠くに見える山のぎざぎざが、空に溶け込んで凍り付いているように見える。

 

ダイスターグ・クレイモア・・・かあ・・・  

 

俺はポツリと呟いた。
そのまま後ろを向くと、もと来た道を戻り始めた。
このまま先に進んでも、きっと何もないだろうし・・・
それに何だか、風が冷たい。 

 

 

 

 

家に帰ると、台所から夕食のいい匂いが漂ってきた。
ルートが作っているのだろうか。
・・・まあ、あの大柄な白毛の虎人には、まともな料理は作れそうにないのだが・・・・ 

「うっす。」 

振り返ると、そこには風呂上りのクラスが立っていた。
上半身裸のままで、肩掛けタオル、パンツ一丁という、ある意味悩殺的な姿で仁王立ちしている。
さすが鍛冶屋というべきか、分厚い胸板に、丸太のような二本の腕。腹筋もけっこうゴツい。それにまあ・・・パンツの膨らみが・・・ 

「何処に行ってたんだい?」 

目のやり場に困っている俺に気づかないのか、タオルで胸を拭きながら聴いてきた。
とりあえず顔を見ながら、俺は   

「ちょっと大市場に。」 

そう答えた。
クラスが、不思議そうな顔で俺を見る。 

「今日はどの店も休みのはずなんだが・・・」 

「ああ、はい。どの店も閉まってました。」 

「ははは、だろう。」 

おかしそうにクラスは笑うと、俺の横をすり抜けて、棚の上からランニングシャツを取り出した。
同じようにズボンを手に取ると、窮屈そうにそれを身に着ける。 

「・・・あ、そういえば」 

俺の頭の中に、さっきの不思議な紳士の姿が思い浮かんだ。
何だ、というような顔で振り返るクラス。 

「さっき、大市場でダイスターグ・クレイモアと会ってきました。」 

「ダイスターグ・クレイモアっつーと・・・あの有名な?」 

その質問に、俺は首を縦に降る。
クラスはへえー、とため息をつくと、 

「そりゃ珍しいな。しっかし、あんな金持ちでも、キチンと自分で視察するんだなあ・・・」 

そして、再び感心のため息を漏らした。 

「んで、何か話したのか?」 

「あ、はい。何かいろいろ・・・説教されたというか・・・」 

「説教?」 

「はい。」 

俺は、一呼吸おくと、さっきの言葉を反すうするように、クラスに伝えた。 

「幸せになる事の鍵は、自分の正義を持つこと・・・自分の中の絶対の価値観を大切にすることだそうです。」 

「カ、カチカン?」 

眉をへの字に曲げると、クラスは苦笑した。
肩に掛けたタオルを物干し竿に掛けると、うーん、と背伸びをする。 
そのまま、降参のポーズを取った。

「俺には縁のない言葉だな。難しい言葉は苦手だ。」 

そう言うと、がはははと大声で笑いながら頭を掻いた。 

「・・・あ、それからもう一つ・・・・・」 

俺の中に、去り際のあの悲しげな笑みが浮かんだ。
・・・やっぱり・・・言うべきだよなあ・・・ 

「あの・・・・えっと・・・・」 

「ん?なんだ?」 

首を鳴らしながら問うクラス。
ボクは、ひそひそ声で囁いた。 

 

「ルート・クレイモアと言う少年に会ったら、『父親はずっとお前を愛している』と伝えてくれ・・・と言われました。」 

 

その瞬間。
クラスの眉がピクッと動いた。
そして、俺と目を合わせると、二人同時に呟いた。 

 

「偶然・・・・だよなあ・・・?」
「偶然・・・・ですよね・・・?」 

 

硬直している俺達の前に、とことことルートが歩いてきた。
両手に、料理用のミトンをつけている。
ルートは、硬直している俺とクラスを見比べると、ニコッと笑って、 

「晩御飯、できたよ。」 

そう言って食卓に向かったのだった。 

 

 

  

 

 

その日の夕食の時間。
俺とクラスは、ルートの顔色を伺うようにして夕食を食べていた。
それに気づいたのか、ルートが苦笑いしながら、しきりに「どうしたの?」と聴いてくる。
それに対して、幾度も「いや、何でもない」と答えながら、俺とクラスはただ黙々と夕食をかきこんでいた。

「(・・・クラスさん、どうします?・・・・・言います?)」 

俺がそう囁くと、クラスはそっと囁き返した。 

「(・・・・ああ。言わなきゃならんだろう・・・・)」 

 

「・・・あ、ええ〜。ゴホン。」 

大きく咳払いをすると、クラスは箸を机に置いた。
俺も、それに習って急いで箸を置く。
何が起こるのかと、驚きの表情で俺達を見るルート。 

「ちょっと、ルートに伝えたい言葉がある。」 

ここで再び咳払いをすると、クラスは声を低くして語りだした。 

「これは、もしかしたらお前に関係ある話かもしれねえし、関係ない話かもしれない。・・・まあ、その・・・何だ。」 

そこまで言って、クラスは俺のわき腹をつついた。
ま、まさか・・俺に言えっていうのか? 

「あ、え・・・ええ!?・・・・え〜っと、何て言うか・・・その・・・」  

しどろもどろになる俺を見て、顔に疑惑の色を浮かべるルート。 

「何?何かあったの?」 

無垢な笑顔でそう聴いてくる。 

俺は、意を決して口を開いた。 

「お前、ダイスターグ・クレイモア、て知ってるか?」 

きょとんとするルート。
一瞬考え込んだ後、伏せた目を俺に向けた。 

「あの・・大市場を経営してる?」 

「そう!ビンゴ!」 

一応、常識問題だしなあ・・・ 

「んで、その・・・ダイスターグに、今日会ったんだ。俺。」 

「え・・・ホント!?凄い!いいなあ・・・」 

い、いい事なのか・・・・・? 

俺は咳をすると、ルートをじっと見据えた。 

「でな、その人が・・・こう言ってたんだ。」 

「うんうん。何々?」 

「あ・・・ええと・・・その・・・・」 

「ルート。」 

口を挟んできたのは、他でもないクラスだった。
緊張している俺を遮ると、淡々と語りだした。 


「その人はな。ガイト君に、『ルート・クレイモア』っていう黒毛の犬族の少年に出会ったら、伝えて欲しい事がある、と言ったそうだ。」 

そこで言葉を濁らせた。
ルートが、不思議そうな顔で、え、ボク?と自分を指差した。
クラスは、わからない、という風に首を振ると、ルートに告げた。 

 

「『父親は、今でもお前を愛している。』・・・と。」 

 

「え・・・?」 

一瞬、ルートの顔に、戸惑いとも迷いともつかない、不安げな表情が写った。
そして、再び 

「・・・・・え・・・・・?」 

そう、呟いた。 

「ルート。この『ルート・クレイモア』が、本当にお前かどうかは判らない。同姓同名の、赤の他人かもしれない。だが・・・もしかしたら、それがお前かもしれない、という事は覚えておいてくれ。」 

「え・・・・あ、うん・・・・」 

困惑した顔色で答えるルート。
クラスは、厳しいような、優しいような・・・不思議な表情でルートを見ると、そっと頭を撫でた。 

「そんなに気にするな。お前の親父は俺で、お前の旅仲間はガイト君。それに、お前はお前。」 

クラスは一呼吸置くと、そっと毛布を覆いかぶせるように、優しい声でルートに言った。 

「ただ、お前の親父は、お前の事をずっと愛してくれている。・・・それだけでいいじゃないか。」 

「・・・・・・・・」 

クラスに撫でられながらうなだれているルートの頭が、少しだけ、縦に揺れた。 

「・・・ちょっと・・・一人で考えてくる。」

そう、ぼそっと呟くと、ルートは静かに席を立った。
その様子に、何だか異様な悲壮感というか何と言うかを感じた俺は、廊下の奥に消えて行くルートの背中を見送る事しかできなかった。 

 

「・・・これでよかったんだよな・・・」 

 

確かめるように、クラスが呟いた。
俺は、それに答えるように呟いた。 

 

 

「事実・・・です。」 

 

 

 

 

 

 

 

                                                                (次の話に続く)

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